今回は、横浜市にお住まいの40代後半舞台監督(7年前)さんが、保育園送迎時の坂登がきついため購入したヤマハの電動アシスト自転車パスで、横浜日本橋間(35kmぐらいあります。)をサイクリングしたお話をご紹介してみます。横浜から日本橋に行く間に電動アシスト自転車のバッテリーが切れ、帰りはただ重いだけの電動アシスト自転車で坂道が多い道を帰宅したエピソードです。電池切れの電動アシスト自転車で走る大変さが伝わってくるお話です。40代後半舞台監督さんお疲れ様でした。

保育園送迎時の坂登がきついためヤマハの電動アシスト自転車パスを入手

結婚して10年、待望の娘が産まれすくすくと成長しました。共働きの為、娘を交代で保育園に連れて行くのに、横浜市瀬谷区の我が家の周りは坂だらけでした。当時40代後半で舞台監督をしていたため、保育園に少しでも早く送り込んで仕事に向かわなければなりません。娘を自転車に乗せ保育園まで送るのですが、坂が辛かったので、思い切って電動自転車、ヤマハのPASを近くの自転車やスポ-ク瀬谷店にて購入しました。

流石に坂道は快適で、保育園までスイスイとこげます。そうこうしている内に月日が経ち、子供は小学校に通う様になりました。二人目の娘が産まれ少しした頃、あの東北大震災が起きたのです。丁度三越劇場で公演中で、その日は帰る事が出来ずに三越に泊まりました。翌日の公演を終えて家に帰ると、妻と娘は歩いて3分の妻の実家に避難していたのです。

バッテリー切れの電動アシスト自転車で横浜―日本橋間をサイクリングで往復

こちらのアパ-トで私は1人での生活が始まりました。三越に通い本番を終えて通勤していましたが、あの大停電の前の晩にテレビを付けると、翌朝は電車が動かないとの報道がされていたのです。夜中の2時半、親が死んでも穴を開ける訳には行かない仕事です。寒空の深夜に電動自転車で、横浜の瀬谷から日本橋の三越劇場までのサイクリングが始まったのです。

深夜のためヘッドライトは欠かせませんし、坂の多い長距離のサイクリングです。しかも免許を持って居ない為、車を使わないので道を知らないのです。散々迷いながらの強行軍です。身体も疲れてくるし、お腹も減ってくるしでコンビニで暖かいコ-ヒ-で身体を暖めながら前に進むしか無いのです。

今更引き返したら公演に間に合わなくなってしまうからです。震えながら自転車をこいで川崎辺りで明るくなって来ました。この頃電池切れでライトはもう着かなくなっており、電動のアシストも効きません。ただ重いだけの自転車と化していたのです。下り坂が多かったのがせめてもの救いでした。

その内に電車が動かない事で、自動車で通勤する事に切り替えたのか、道は自動車で溢れて来ました。バイクも横をビュンビュン走り去り、運転していてもとても怖い思いをしながらの移動と変わって来たのです。駅近くを通過する時は、動いていない電車に溢れた大勢の人達を避けて、押して歩かなければなりません。

この時の自転車が普段より重く感じた物でした。人ごみを抜けてまた漕ぎ出します。時計を見ると朝の七時。後二時間で三越に到着していなければ遅刻です。まだ蒲田で、この先道に迷いでもしたら絶対に間に合いません。必死の思いでこぎ続けます。結局三越まで6時間半かかり無事到着した時には疲れ果てていました。

劇場に入ると主演の若尾文子さんとプロデュ-サ-、若尾さんの付き人の3人だけで、他は誰も着いていません。こんな思いで夜中じゅう自転車をこいで遠い道のりを頑張ったのに、皆は何してるんだと思った物です。そんな時、若尾さんに「来るのに6時間掛かりました。」と言うと「毎日大変ね。」との答えが返って来ました。

毎日では無いのですが、と思いつつ、若尾さんの天然に思わずクスッとしました。お陰で怒りが少し和んだのも事実です。結局、他のスタッフ、出演者も到着出来ず、お客様も来ないだろうとのプロデュ-サ-の判断により公演中止になり仕方無く家路に着くのですが、今度は電池切れの電動自転車で登りの多い帰り道です。きつい坂は手押しで歩いて登ります。途中休憩を何度もはさんで、しかも何度も道に迷いながら、結局は9時間近い道のりでした。まさかママチャリ型の電動自転車で、往復するとは思いませんでした。この日は本当に疲れ果てて、ビール一本飲み切らない内に眠りに落ちていたのでした。